WEB資産について

私がインターネットビジネスの業界に飛び込んでから、10年以上がたちました。

今でこそ、インターネットでお金を稼ぐという行為が一般化されていますが、当時はそうでもなく、本当にできるのか雲をつかむような思いで、駆け抜けてきたのを今でも鮮明に覚えています。

どんなビジネスでもそうですが、この業界、本当に様々な人達がいます。10年も一つの業界にいると本当に様々な人たちを見てきました。

本当に、正直な方法でビジネスを運営している人もいれば、自らの欲求によってビジネスを運営している人もいます。

もっと汚い言い方をすれば、騙したり、騙されたりして、業界全体が成り立っている側面もあると感じています。

私の収益源の一つはウェブメディア運営

現在、私はインターネット上のWebサイト運営という形でお金を稼いでいますが、収益の仕組みとしてはウェブサイト内から生まれる広告費で成り立っています。

私のように、ある程度、自由に場所と時間を選ばずに、インターネットでビジネスを行う方のほとんどが、いわゆるサイト内に広告欄を設けることで収益を得ています。

もちろん中には、有料コンテンツの配信などをしていたり、特定のコンテンツの販売などをしてビジネスを行なっている方もいます。

特定の方達に向けてセミナーや塾、勉強会などを設けることで収益をあげるやり方もあります。

また、広告といっても幅広く、やり方は様々ですが、いわゆる企業様から広告費をもらい、Webサイトにバナーなどを貼り付けたり、特定のページに誘導する形のものもあれば、アフィリエイトといって、特定の成果に応じて広告収入を得るビジネスモデルもあります。

インターネットでお金を稼ぐといっても、基本的にはオフラインの仕組みとあまり変わりません。

Webサイトを資産にして収益化する

雑誌(純広告やパブ広告など)や、テレビ番組(テレビCM)広告も同じように、広告費によって成り立っています。

例えば雑誌の場合は、純広告と呼ばれる企業の商品を紹介するページや、PR型のパブ広告などがあります。

同じように、テレビ番組ではCM枠が設けられることにより、それがそのまま広告として機能しています。

Webサイトを運営して収益を生み出すことも仕組みとしては同じですが、ウェブ広告の場合は実際に特定のアクションを起こしてもらうことで広告費が算出されます。

つまり、クリックしてもらい特定のページに誘導する、または商品の売買を行ってもらうことによりお金を生み出すという形です。

私の専門分野

私が専門とするところはいわゆる「コンテンツマーケティング」です。

つまりターゲットを絞り、特定のコンテンツをインターネット上に配信することで、トラフィック(人)を集め収益を得るという仕組みです。

何かに悩んでいる、何かを解決したい、特定の情報を探している方に向けてコンテンツを作成し、コンテンツの力によってSEOを行い、検索順位をあげ、コンテンツの力によって収益を得るというビジネスモデルです。

つまりWebサイトを運営するにあたり宣伝広告費はゼロ。

お客さんはコンテンツの力により、自然と集まる仕組みを築いているので、宣伝広告費はかかりません。もちろん宣伝広告費をかける方法もありますが、私の場合は宣伝広告費をかけていません。

全てキーワード検索によるSEOによる検索結果でサイト内に人を呼び込んでいます。

ウェブメディア運営の形

Webサイト運営は、紙の媒体などの広告と違って、自分から特定の情報が欲しい方が能動的に探しサイトに来てくれます。

Webサイトを作り込めば作り込むほど、いくつもの入り口が用意され、実に様々な入り口からサイト内に訪れてくれます。さらに欲求を満たすコンテンツを用意しておけば、サイト内で解決できるものが増え、それに応じてより強い媒体になっていきます。

またお金もかかりません。

ドメイン代とサーバー代さえ用意すればすぐにでも仕組みは整えることができます。

インターネットで、Webサイトを運営していくビジネスの面白いところは、自分が直接働いていない時間も、Webサイトが働いてくれ収益を生み出してくれるということです。

やり方によっては、売り上げのほとんどが利益という形にすることもできます。

ある程度の仕組みを築いてさえしまえば、あとは勝手に収益を生み出してくれるWebサイトになるので、寝ている間も、遊んでいる間も、どこかに旅行に行っている間も、勝手に収益を生み出してくれるようになります。

その結果、文字通り「自由」な生活を手に入れることができます。

ウェブメディア運営は誰でもできるものか

では、誰でも簡単に収益化できるのかといえば、私はそうは思いません。やはり他のビジネスと同じようにある程度の専門知識と経験が必要になります。

継続的に稼いでいくためには、インターネット周りの知識はもちろんですが、文章を書いたり、文章を編集したりする能力をはじめ、いわゆるコピーライティングのスキルも必要になります。

インターネット上では、宣伝文句としてインターネットビジネスは、誰でも簡単に稼げるという謳い文句で溢れていますが、おそらくそういう方に教わったとしてもインターネットで稼ぐことは難しいと思います。

要は確率論の問題です。

ある一定の確率で、運だけで稼げてしまう人も稀にいます。本当に恐ろしいことですが、きちんとした知識も、実力もない、そんな方でも稀にぽんっと稼げてしまう方がいるのです。

ウェブメディア運営はレバレッジが効く

私はインターネットで誰でも稼げるとは言いませんし、誰でも稼げるとは思いません。

ただ誰でもインターネットを使い、稼ぐことのできる可能性はあると思います。

この世界、稼げるようになるまでがものすごくしんどいですが、一旦コツをつかめば、ノウハウを流用することができるので、いつでも好きなときに、やり方によっては好きなだけお金を稼ぐことができるようになると思います。

また不思議なことですが、稼げば稼ぐほど、物事はずっとシンプルになっていきます。

私も、自分がインターネットで稼げるようになるまでは、稼いでいる人たちは、どんなにすごいスキルを持っていて、どんなに膨大な知識を流用して、どんなテクニックを使って稼いでいるのだろうかと不思議に思っていましたが、実際に自分がインターネットで稼げるようになると、不要な知識の方が多いことに気がつきます。

コンテンツを作成するには、頭は使いますが、はじめに思っていたほど知識も必要ないという結論に至っていますし、テクニックもたくさん知っていますが、そんなに使用してはいません。

物事はあなたが思っているよりも、ものすごくシンプルで、ものすごく自由です。

だからこそ面白い。

100人いれば100通りのやり方があるし、正直につくれば100通りのコンテンツが生まれます。そしてそこに他の何物にも変えがたい価値が生まれる。

そんなコンテンツを生み出すことができる世の中になれば、もっと自由に働くことができると思いますし、肩の力を抜いてもっと楽に働くことができると思います。

世の中をお金だけで見ていると本当につまらなくなります。そうではなく、お金という存在から解放されてお金にならないことをやれる環境を築くことが、今の私たちには必要なことなのではないでしょうか。

私は今後10年を目処に、お金にならない仕事をしていこうと考えています。しかし、矛盾しているようですが、その「お金にならない仕事」をするためには、一方でお金を稼ぐ必要があります。

一方でお金を稼ぎ、一方でお金にならない仕事をする。私は今、そんなビジネスモデルを考えています。

まずはできることからだと思います。

私のような思いを持った方はもちろん、社会の仕組みからはみ出してしまった人、レールを間違えてしまった人、社会で起きた何らかの出来事が原因で息苦しい思いをしている方に向けて、このサイトが選ばれるように、インターネットで稼ぐことについて役立てていただければこれほど嬉しいことはありません。

そしてできることなら、しっかりと根を張り生活できる土台を築いた上で、それぞれがお金にならない仕事を好きにやって社会を変革していける世の中にしていけたら面白くはありませんか?

今、鬱のあなたへ

残念なことに、病気などで思うように働けなくなってしまった人がいます。

私も過去、鬱とは診断されていませんが、企業で働く事が息苦しく、他人の目が気になっていた時期があります。

いや、病院にかかれば確実に鬱だと判断されていたかもしれません。なにせ、朝起きて起き上がることもできませんでしたから。

私は、自己を正当化するつもりはありませんが、当時勤めていた企業の上司からのパワハラに合い、慣れない仕事のプレッシャーで、一時期仕事ができなくなってしまった時期があります。

10年以上前の話になりますが、働くどころか、当時は生きていくだけで精一杯という状態でした。

孤独を感じ、焦りを感じ、イライラを募らせ、ものにあたり、あたり蹴散らしていました。

また、突然涙が流れてきたり、何かをしなければならないという焦りはあるものの、何もやる気が起きず、1日中眠ることしかできませんでした。

どのような言葉で表現したらいいのかわかりませんが、生きる気力をなくし、どうしようもない、深い霧の中でもがき苦しんでいたといったらよいでしょうか。

今思うと、非常に鬱の症状に近い状態だったと記憶しています。

働く事ができず、毎日の生活もままならない状態

鬱といっても様々な症状があり、軽度のものもあれば、重度な症状まで様々だと言います。

私がどれくらいの症状だったのかは、病院にかかっていないため、今となっては判断する事ができませんが、生きる活力も湧いてこず、かといって死ぬこともできず、ただ日々を生きながらえるためにある命といった症状でした。

普段、見ている世界が違っているものに見え、少し黒ずんで、それでいて黄色がかっていて、生きていてよいのだろうか、でも死ぬこともできない、私の人生はこの瞬間に終わったのだ・・・と、ひとり孤独の中をさまよい歩いていました。

感情の起伏が激しく、体の調子のいい時に外に繰り出してみるものの、人の目が怖く、常に萎縮していました。

普段できていたこともできなくなり、昼間に外に出ているというだけで、世間の目が気になり、働いていないというだけで、こんなにも息苦しい世の中なんだなと感じていた事があります。

やっとの思いでコンビニで買い物をするものの、単なる買い物でさえ店員の目を見ることさえできず、財布を持つ手が震え、必死の思いで言葉を発すると、額から気持ち悪い汗がにじみ出てきて、呼吸が苦しくなりました。

「あの人は何をしているひとなの?」
「あんなに若いのに、昼間からぶらぶらしていて」
「ぶらぶらしていないで働け」
「みんな嫌な事があっても一生懸命働いているんだよ」
「甘ったるいこと言ってんじゃないよ」
「そんなの気持ちの問題でしょ」

周りからそんな風に思われているような気がして、毎日をひとり孤独に過ごしていました。

活動時間は夜

そんな状態でしたから、ほとんどの場合は、出歩くのは夜。また活動時間も夜。活動といっても何もやる気が起きませんでしたから、ただぼーっと起きているだけといったらよいでしょうか。

テレビをつけても頭に入ってきませんでしたし、本を読んでも活字を読むのを途中でやめてしまったり、布団の上でただぼーっと過ごしている状態です。

ただ唯一の救いは、私には「書きたい」という思いがあったことでした。一人パソコンに向かい、ただひたすら今の気持ちを、書き留めていました。

書くことで、気持ちが少しだけ楽になり、読み返すことで、自分の気持ちを再確認していました。いい文章が書けた時は、そんな状態でありながらも、嬉しく、気持ちが高揚しました。

そうは言っても、長い文章は書く事ができませんでしたから、詩のような短い文章で気持ちを乗せ、辛い思いを吐き出していました。

私には小説家のように綺麗な文章を書くことはできません。またコピーライターのように人に訴えかけるコピーを書くこともできません。

当時の私にあったのは、ただ、自分の感情を文章にのせる力だけでした。

当時の文章を読み返して見ると、今よりもずっと雑で、刺々しく、でもそれでいて、感情に訴えかけてくる何かがあります。今の私に同じような文章が書けるかと言われれば、おそらくもう書くことはできないでしょう。

感情で書くという行為は一過性のものに過ぎないからです。

もちろん見せるように書くことはできますが、そのように書いて見ても、不思議なことに当時のように訴えかける何かには欠けている気がします。

文章には命が宿ると言いますが、「言い得て妙」だと思います。

一通り思いを描き切った後、少しだけ気持ちが楽になりましたが、減りゆく預金残高に恐怖を覚えていたこともあります。

ひとり計算し、後どれくらい働かないでいる事ができるだろうと、計算していたこともあります。

そんな中でも、少しずつ、少しずつ社会に自分を慣らしていき、普通の人が普通にできる事でさえも歯を食いしばりながら必死にし、もがいていきました。

私は人のせいにするのは悪いことだとは思いません。それが過度に行き過ぎると問題が生じてきますが、人のせいにするということはある種、人間の防衛本能だと思うからです。

世の中には本当にたくさんの人がいます。

やたらと人のことを誹謗中傷する人もいれば、否定することしかできない人がいたり、残念なことにそれに気がついていない人もいます。

幸いなことに私は周囲の力もあって、少しずつ社会に自分をならせ、社会復帰を果たし、当時では考えられないくらいに元気になりました。

結婚をし、親になり、起業もし仲間も増え、当時では考えられないくらいに毎日を楽しく生きています。

もちろん相変わらず辛いこともたくさんありますが、元気で過ごす事ができています。

鬱の前後で気持ちの変化はあったのか

病気の前後で見ている世界が変わったのかと言われれば、間違いなく変わったのではないかと思います。

周りへの理解や配慮、物事の見方はもちろんですが、もっと表面的なことではなく、深い感情の部分で変わったと思います。

細かいことはわかりませんが、脳に伝達する物質に変化があったのかと思うときもあります。

当時の自分に声をかけてあげる事ができるのなら、この先も苦しいことはあるけれど、一歩ずつ進んでいけるから大丈夫と優しく声をかけてあげると思います。

そして「乗り越えなくてもいい壁はあるんだよ」というでしょう。

「乗り越えようと焦る必要はない。言葉は言葉にすぎないから、だから焦らず今を生きて」

というと思います。

人は、壁は乗り越えなくてはならないと強制的に思い込ませている節があります。

でも考えて見てください。

壁を乗り越えなくても時間がかかろうと壁を周って行けば壁をやり過ごす方法もあるかもしれません。理屈っぽい言い方かもしれませんが、逃げではありません。方法論の問題です。

勝てない相手にわざわざ立ち向かう必要はないのです。

兎にも角にも、そうした言葉に惑わされない事が大事だと私は思います。

長期的なスパンで考える

今、コワーキングスペースに来ています。

コワーキングスペースとは、スペースを共有しながら各自、打ち合わせや仕事を独立した形で行なう場所のことをいいますが、見渡す限りでは様々な方がいらっしゃいます。

例えば、私のように仕事をするだけではなく、勉強をする為にも使われているようですし、人によって使い方は本当に様々あるようです。

ものすごい静かだというわけではなく、適度に人の声がきこえるので、一般的な自習室のような静かさはないです。この空間を快適かどうか感じるのは、個々によって差があると思いますが、今日の気分で言えば私的にはありのスペースだと感じています。

▼長期的なスパンで見ることの大切さ

私のような仕事をしていると、如何に長期的なスパンで物事をとらえる事が出来るのかがひとつの大事な焦点となります。

つまり、細かい動きや、細かい流れに左右されずに、俯瞰レベルをあげて、もっと全体としての大きな枠組みでとらえるということです。

細かい動きや流れの変化というのは、頻繁に訪れます。いちいちそれに対応していたら、時間がいくら合っても足りないし、物事を前へ進める事は出来ません。

ですから、その細かな流れも含めて、全体の大きな枠組みとして考える事が、非常に大事だと思います。

私自身も、最近は特に細かい変化の流れが頻繁に起きていますが、こういう時は細かい変化に振り回される事なく、全体を見るように意識しています。

つまり、私はそのビジネスで何を成し遂げようとしているのかということを常に意識しています。

例えば、私はWEBメディアを運営していますから、そのメディアによって、ユーザーに何を伝え、ユーザーにどうなってもらいたいのかを常に考え頭を捻り、ひとつのメディアをつくっていっています。

現在運営しているWEBメディアは、現時点でもある一定のユーザーに対して強い影響力を持っていると感じています。それは滞在率を見ても明らかです。

CTRに関していえばおよそ80%以上を叩き出しているのもありますし、中には100%という素晴らしいコンテンツもあります。

つまり、私のWEBメディアを探して、訪問してくれるほとんどの方が私が頭をひねって考え出したコンテンツを隈なく読み進めてくれていると感じています。

該当メディアは、今はまだ、小さなメディアでしかないけれども、5年後、10年後を常に見据えてメディアをつくっていく事を心掛けています。

メディアの運営自体は順調ですから、やがて大きな華を咲かせるでしょう。それも近いうちに。

私がここで言った、細かい変化というのは、WEB全体の小さな動き、つまり仕様変更などの事です。

WEBメディアが向かっている方向性や流れは、わかっていますから、後はその流れにのって行けば良いだけなのですが、その大きな流れの途中にどうしても予測不可能な小さな動きや流れが訪れます。

メディアが大きくなればなるほど、その影響は受けやすくなり、けれどもメディアが進むべき方向性はわかっていますから、それに合わせて自信を持って大胆に行動していくことが大事になります。

メディア運営の経験が浅い人は、特に慎重に気を引き締めるべきだと思います。

今の動きは、進むべき方向の、全体の、ほんのわずかな変化にしか過ぎないということです。ですから自信を持って、自分のメディアを運営していってください。