2019年 5月 の投稿一覧

セミリタイアについて

昨日はなかなか寝付けず、夜な夜なネットサーフィンをしていました。

いろいろな記事を読んでいたのですが、とりわけ私が読んだ記事の中のひとつに、なかなか面白いことが書かれてありました。

その記事の内容は、主にセミリタイアに関する話でした。つまり「なんにもしないで悠々自適にのんびり暮らしたい」という社会人生活に疲れた方の誰もが夢見ると思われる、南国生活でリタイアメント生活を送るという内容でしたが、実に興味深い内容でした。

別に、その方がおくられた南国のリタイアメント生活が興味深いのではありません。その方が語った、南国のリタイアメント生活それ自体が興味深いのではなく、試しに南国リタイアメント生活を謳歌してみたという点が非常に興味深かったのです。

その方も私と同じように時間と場所を選ばない仕事をする、ライフスタイルをされているようなのですが、もちろんその方も普段は土日関係なくきっちりと仕事をされています。

普段はそれなりに忙しく仕事をされているようなのですが、時間をつくって試しに南国リタイアメント生活をしてみたところ、いろいろなことが見えてきたという内容です。

例えば、よく日本人が夢見るプールサイドでトロピカルジュースを飲みながらゆっくりと過ごしてみたり、時間と場所にとらわれずにプールサイドバーにパソコンを持ち込んで仕事のまねごとをしてみたりしてみたそうです。

その結果わかったことは、そんな生活は全然面白くないということだったそうです。

これは実に興味深いですね。

つまり、単純にはそう言い切れないかもしれませんが、お金があればそうした自由を満喫した生活がしたいと思って、実際にしてみても、現実は全然面白くも何ともないということです。

よく人生のゴールをそうした自由気侭な生活においている方の話を聞きますが、きっと人は何か夢中になれることを見つけて、熱中し取り組んでいる時が一番幸せなんだと思います。

「仕事も何もしないで、悠々自適な南国生活をおくる」・・・一見すると、羨ましく思えるこの言葉は、所詮幻想であり、そんな生活を送ったところで充実感は得られないのだと思います。

別に仕事をしてこそ日々の充実感が得られるとか、そう言ったことが言いたいのではありません。仕事で充実感を得られる人もいれば、仕事に充実感を得られない方もいることは重々承知しています。

私の場合は日々の仕事が楽しく、面白く、仕事をすることで充実感を得ることが出来ていますが、逆に趣味に没頭することで充実感を得られる方もいます。

つまり人は、仕事でも、それ以外でも構いませんが、夢中になれる何かを見つけ、それに対して熱心に取り組んでいる時が一番充実感を得ることが出来るのだと思います。

そしてそれがやがて生き甲斐となり日々の充足感を得ることが出来るのだと思います。

思えば私もそんな南国リタイアメント生活に強い憧れを抱いていたこともあります。無理にでも、その気になれば、そうした生活が出来る中、なぜ、私がそんな生活をしないのか。たぶんそれは、そんな生活はつまらないことを知っているからなんだと思います。

それよりも日々の仕事に対して真摯に取り組んでいた方がよっぽど楽しいことを知っているからだと思います。

不思議なことに、時間と場所にとらわれないライフスタイルに近づけば近づくほど、そうした生活に興味がなくなっていきました。私の場合は、仕事をする時間と場所が自由なだけで、基本的に、世界中のどこにいてもやっていることは変わりません。

例えが悪いのかもしれませんが、もしかしたら誰もが訪れたい有名観光地の近くに住むほどに、そこに行かなくなることに似ているのかもしれません。

働き方について

今日は上島珈琲で仕事をしています。

今、来ている上島珈琲は郊外のお店にあたるのですが、集中できるスペースがあって意外といいんですよね。程よいBGM、それに落ち着いたダークな色調の店内の雰囲気が、今日はやけに心地よく感じます。

そういえば、入院直前に仕事をしていた場所もここの上島珈琲だったな・・・と、何か妙な縁を感じています。

ふと今、今日はBOHEMIAN DAYSで何の記事を書こうかと思いながらパソコンを叩いている最中に思い出したのが、少し前に、大手企業でも、会議以外では、会社に行くことなく、私のように自宅でも仕事が出来る体制を整えているというニュースがあがっていたことを思い出しました(少し前と言っても1年以上前の話ですが(笑))。

当時は、テレビを含め、いろんなメディアで「革新的な働き方だ」と取り上げられていたと記憶しています。が、私の見解では、たぶん大手企業で取り入れるのは難しいと思います。

なぜなら、まとまった組織の場合、個々が別々に動いてしまうと、仕事の進捗に支障を来すからです。

また、会社員として個人で仕事をしていては仕事をしていく上で、判断が難しい場面も出てきます。

個々の能力が相当に高く、個々の社員に裁量があり、個々の社員がそれぞれの抱えている案件に対して決定権と責任を持っているのなら話は別ですが、それ以外では、いろいろと調整が難しい局面が出てくるはずです。

会社にいき、関係者と偶然に会社内で顔を合わせ、情報を仕入れることで仕事が円滑にすすみやすくなるという、会社に行くことで得られる、補助的なメリットもなくなりますから、長期的に見れば様々な部分でほころびが生まれると思います。

また、ただでさえ、1つのことに対する判断が遅い大企業なのに、そうした働き方を取り入れてしまうと、さらに判断が遅くなってしまい、組織として機能しなくなってしまうと思います。

もちろん、そうした働き方をはじめた、最初のうちは「なんて素晴らしい働き方だろう」と思ったり「休憩時間に子供と遊べて非常にメリハリのある生活が出来る」または「家族との時間を持てるようになった」など、良い内容の意見が出てくるかと思いますが、次第にそれは不満に変わっていくと思います。

何故なのかと言えば、家にいれば、仕事以外で家族に振り回されることが大きくなるからです。

はじめのうちは、新鮮だから、「お父さん頑張って!」などと、円満に行くかと思いますが、そのうち、妻からすれば家にいるのに、家のことを全くしないで仕事しかしない夫というレッテルが貼られるようになります。

また、大事な仕事をしているのに、子供から容赦なく横槍が入り、その都度、作業をストップせざるを得ず、仕事に戻るのに時間がかかるなど、仕事の効率も悪くなるでしょう。

家庭生活と会社員としての仕事生活を一緒くたにしてしまうと、特にサラリーマンの場合は非常に辛い現実が待っていると思います。

私の働き方のように、決定権はもちろん、全てを自分で判断し、働く時間も日中夜問わず自由というのなら話は別ですが、サラリーマンの場合、周りと歩幅を合わせることも大事な仕事の内ですので、そうした働き方は難しいでしょうから、必然的に働き方に無理が生じてきます。

確かに通勤時間などはなくなりますし、その時間を仕事にあてられるという意味では、一見すると効率的な働き方のように見えますが、サラリーマンの悲しい宿命として、仕事に空きができると、その分やらなくてはならない余計な仕事が増えてしまいます。

私もサラリーマンを経験していますから、その点はよくわかりますが、それは組織で行動し、組織で結果を追求する以上、仕方のないことなのです。

サラリーマンは、ひとりで仕事をしているように見えて、ひとりで仕事をしているわけではなく、会社の中の各関係部署などと連携をし、組織として仕事をすることではじめて成果を残すことが出来るシステムですから、仕方のないことなのです。

また、私のような働き方を会社で取り入れてしまうと、会社として社員の管理が難しくなり、結果、組織として、成り立たなくなると思います。もちろん海外の会社では、世界中のどこにいようが、インターネットさえ繋がれば働くことが出来る、働き方を取り入れている企業があるのは知っています。

ただ、そうした働き方は、例えばアメリカ法人に所属していたとして、どこでも働けるからといって、東南アジアで働くとなると、2つの国では時間帯が全く異なりますから、昼夜が逆転してしまうという残念な結果になってしまいます。

テレビ会議が入った場合は、その時間に起きていなければなりませんから、色々な意味で制限がかかってしまいます。

もちろん、私のような働き方をしていたとしても対外関係はありますから、その都度、調整はしなくてはなりませんが、サラリーマンの方のそれと比べると、そうした意味ではストレスが少なく、比較的柔軟に予定を組むことが出来ます。

別に、どちらの働き方が良くて、どちらの働き方が悪いということが言いたいわけではありません。

ただ、組織的な働き方をする場合と、個人で権限をもつ働き方をする場合とでは、それぞれにあった働き方があるということが言いたいのです。

そうした視点で見ると、組織で働いているのに、個人で働く働き方を取り入れるとどこかしらに無理が生じてくるということが言いたいのです。

さて、今日は夕方から大阪出張が入っています。夜は会食となりますが、ビジネスをより強固にする為に、しっかりと調整をしてきたいと思っています。

やるかやらないか?

退院してようやく生活が落ち着いてきました。

とはいいつつ、昨日は打ち合わせで、来週も珍しく出張と会食があり、さらに再来週も打ち合わせと会食が控えているなど、仕事が立て込んでいます。

どれも、大事な案件だけに気を抜けない日が続いています。

昨日の打ち合わせは上手くいけば、強固なパートナーシップを結び、お互いにとって非常にメリットのある話だったのですが、ただ一歩間違えば、お互いにとってマイナスの効果を生みかねないので、少々慎重にことを運ばなければなりません。

来月頭から一緒に取り組みをはじめさせて頂く予定なのですが、大事な部分がまだ明確になっていないため、もしかしたら少し予定がずれ込むかもしれません。

【全てがピタッとはまる案件はまれ】

いくら、自由な仕事をしていようと、こうした大事な打ち合わせが重なると、移動に時間をとられてしまいますし、ビジネスの進行に支障が出てきます。

打ち合わせを行なう以上、こちらもバリューを提供しなければなりませんし、その後のビジネスを左右する度合いが大きいほど慎重になります。

私の中ではいくつか基準があり「これとこれがオッケーならゴーサイン」という条件があるのですが、全ての案件で、それがクリアになるわけではありません。

ビジネスはいつも複雑な環境の中で揺れ動いていますから、ピタッとハマる案件は稀で、その多くはどちらかがある程度譲歩することで進行していきます。

ただ昨日の案件については珍しく、上手く行けばお互いが抱えている問題をクリアする事が出来、それだけではなくさらに相乗効果で様々な恩恵に預かることが出来る案件でした。

期待をせずにはいられませんが、ただし大事なところがクリアになっていない今、まだなんとも言えない状況です。

【築き上げるのには、なんでも時間がかかるもの】

私のような生活スタイルをみて羨ましく思ったり、憧れたりする方がいらっしゃるのは少なくないことは知っています。

ただし、私のような生活スタイル、もっと大きく言えば、私のようなライフスタイルを送ることは、やはり誰でも出来ることではないと思います。

私は、如何に自分が自由であるか、フットワーク軽く自由に移動できるかを基準に仕事をつくってきましたので、結果的にこのような働き方が実現できていますが、やはり、このスタイルを手にいれる為には多くの苦労がありました。

もちろん、今の時代、インターネットに繋がる環境があれば、それなりの方法論で、仕事をクラウド化していき、私のような一見「自由」にみえる働き方を手にいれることは可能です。

ただし、それらは一朝一夕で身につくものではないし、できるものではなく、多くの場合は時間がかかります。

求められるスキルも違いますし、もっと言えば求められる精神状態も違います。

例えば、私の場合は、今のライフスタイルを手にいれる為に10年を要しています。

もちろん、今はいろんな働き方がありますから、私のように時間をかけなくても、私のような生活を手にいれることも不可能ではないでしょうが、たぶんどの道を選んでも当然のように、それなりの苦労はすると思います。

【本当にやるか、やらないかなのか?】

「ようは、やるかやらないかだ!」なんて安っぽい言葉で片付ける気はありません。

世間ではやるか、やらないかという言葉で単純化し、さも、成功者は「やる」を選んだから成功できたと、単純化して言っていますが、現実はもっと複雑です。

「やるか、やらないか」・・・もちろん、「やる」を選ばなければ、何事も前には進まないわけですから、決断としてはどこかしらで「やる」を選んだのだと思いますが、それだけで実現できるものではありませんし、物事はそんなに単純ではありません。

「やる」を大前提にして、そこからが大事で、要はその後の方法論、選択と決断、そして「運」どれもが不足していては実現出来るものも実現出来ません。

ビジネス書では絶対に触れられていませんが、私は、その中でも「運」の存在は、非常に大きなウェイトを占めていると考えています。

つまり、「運」という一見つかみ所のない言葉の中に、ビジネスをうまく成功に導く本質が隠されています。

もちろん、その「運」をつかみとるためには、それなりの方法論が必要ですし、その時の状況に合わせて選択と決断をすることが大事になります。

方法論は、大事なことには変わりないのですが、絶対的なものではなく、ゆるやかな流れの中で自然に身を委ねていると、必ずとは言えませんが、真摯に向き合いながら語り合うことで見つかるのではないかと思います。

そして、それは多分私のいるビジネスの世界だけの話ではなく、様々な職種に共通していえるのことなのではないかと思います。

例えば、昨日イチローのインタビューをYouTubeで見ましたが、私なんかが言葉にするのも非常におこがましい話ではあるのですが、イチローという人は本当に自分のカラダという資本と向き合い、自分に合った方法論をいまだに模索し続けているひとだということがわかります。

一見「バットを振る」という誰でも出来そうな単純な行動の中に、誰にもわからない積み重ねがあり、そうしてカラダを動かす理由があり、自分なりの理論と考え方があります。なにより「バットを振る」というひとつの単純な行動をとってみても、細部にわたるまでの工夫や細かな違い、ありとあらゆることの積み重ねのうえ成り立っていることがわかります。

おそらく全ての選手がイチローの理論に、まるごとそのままあてはまるわけではないでしょうが、それはある意味当然のことで、何故なのかと問われれば、自分のカラダを追求していった結果、今のイチローがあるからです。

例えばカラダを大きくするのには何の意味もない、カラダが動きづらくなるだけだというところにも、それらをかいま見ることが出来ます。

だから、例えば、私なりの方法論を語ることは私にも出来ます。こうすれば、私のような働き方を実現できる可能性があるとお話することは可能でしょう。

しかし、100%の確立でそれを実現に導くのは不可能で、なぜならば、それぞれ人によって持ち合わせている能力や環境、求められるスキルが違うからです。

少し私の話をさせて頂くと、私は、今から約10年前にインターネットを使えば、今のような働き方が実現できると思いました。とはいいつつ、それなりの方法論、つまりビジネスモデルは頭の中に思い描いていたものの、わかってはいるものの、それを実現するのにはかなりの紆余曲折がありました。

今思えば、必要なかったと思われるような、遠回りもたくさんしましたし、もっと大きな市場で、会社を大きくして社員をたくさん抱えていく方向に舵をきったほうがいいんじゃないかと思ったこともあります。

ただ、私は例え、会社を大きくしたとしても、そこに自分がいなければ回らないビジネスにはしたくありませんでした。自由ではなくなるからです。

そうした方法で、会社を大きくして資金を調達するために上場したとしても、結局は株主に縛られるだけですし、常に右肩上がりの成長を求められますし、あらゆる脅威にさらされることになります。

そうした働き方に価値を見いだすことは出来ませんでした。

私が実現したかったのは、出来る出来ないは別として、もっと違う形の働き方でした。

結果、今、私は今のように好きな時に自由に働く「働き方」が実現できていますが、もちろんこれで終わりではありません。

私の思い描く理想の形を手にいれるには、まだ時間がかかりますし、やらなくてはならないことがたくさんあります。

また、やりたいこと、実現したいことの幅が、広がってきつつあり、ただ単に拡大するのではなく、もっと面白い方向にビジネスを行なっていくことになると思います。

やみくもに拡大をするのではなく、自分のビジネスをしっかりとコントロールしながら、自由に働く。

闇雲にビジネスを拡大する路線は、おそらくもう時代遅れなのではないかと思います。