仕事のために生きるのはもうやめよう
ボクは思います。そしてこの記事で伝えたいこと、ボクが発信するメッセージは極めてシンプルです。
仕事のために生きるのはやめよう。
これだけ生き方が多様化していて、テクノロジーも進化しているのだから、今すぐに仕事のために生きる生き方以外の道を模索するべきだと。
本当に自分がやりたいことや、自分が大切にしたい思いを胸に抱えて生きていけばいい。
もちろん、すぐにそんな生活を叶えることは不可能で、多くの場合時間がかかるものだと思います。ボクもそうでしたから。
でも、シンプルにこう思うのです。
「今のような働き方を続けた先に何が残りますか?」と。
理想とする働き方は人それぞれ
もちろん理想とする働き方は人それぞれだと思います。
仕事のために生きることが、楽しくて仕方ない方もいらっしゃるでしょう。仕事が生きがいとなっている方は、今ある仕事に集中していただいた方がいい。そう思います。
だから仕事のために生きる、そんな生き方も否定しません。
ボクが言っているのは仕事が嫌で嫌で仕方がない・・・仕事に時間を取られ過ぎてしまって何もできなくなっている。
そんな働き方をしている方はいますぐ別の道を模索した方がいい。そんな意味だと思ってください。
あなたがいないと会社が回らないは「驕り」
決められた時間に出社したり、決められた時間に仕事をしなくてはいけなかったり、ストレスを抱え込みながら働いた先に何が残るのか・・・。
何も残らないし、あなたがいなくても会社や社会は回っていく。実はこれが現実だと思います。
これはボクが会社員をしていた時も、そう感じていたし、どんなに優秀な人材が辞めたとしても、次なる優秀な人材がいつの間にか現れ、自然と会社は回っていくものなのです。
またボクの経験上、会社の仕事というのはやってもやっても、優秀になればなるほど仕事が集まってきます。
終わりのないマラソンをしているようなものなのです。
自分がいないと会社が回らないよ・・・それはただの「驕り」で現実はそんなことはありません。
あなたがいなくても回るから会社なのです。
長年勤めて、上り詰めても何も残らなかった父の存在
例えば、ボクの父親は有名な会社の取締役をしていたこともあります。いわゆる会社員としての成功者です。
土日も仕事関係のゴルフに付き合うなどをしていましたし、仕事一本に生きる家庭をかえりみない働き方をしている父でした。
そんな働き方をしていて、運にも恵まれ、たたき上げで取締役になったのですが・・・実は、その裏では家庭が蔑ろにされ家族が犠牲になり、一時期ボロボロになったこともあります。
そして、父はすでに定年退職をしましたが、その後父に何が残ったのか。
会社関係で築いた数人の仲間です。
・・・数人です。
父はずっと1つの会社にいるような、いわゆる生え抜きの人材でしたが、そんなふうに長期間会社に勤めていても、後に残る仲間は仲間数人。それも片手で数えられるほどです。
あれだけ毎年もらっていた年賀状もいつの間にか届かなくなりました。
そしてあれだけ仕事に時間を注ぎ込んだ父が退職した後も、何事もなかったかのように会社は回り続けています。そんなものなのです。
失ったものが大きすぎる働き方
確かに父と話をしていると、たたき上げで取締役になったこと。それについて、ものすごく誇りを持っているのだな。そう感じることもあります。
父と飲みにいくと必ずその話をされますから。ボク自身も話を聞いていてそんな父を誇らしく思うこともあります。
でも、あまりにも犠牲になったものが大きすぎる。ボクは息子としてそう感じる時があります。
もちろん父の人生ですから、表立っていうことはありません。父が納得した人生を歩んでいったのであればそれで良いかもしれません。でも、その背景には母が犠牲になった。父親の出世の影には明らかに母の献身があり、母の人生が犠牲になった生き方をしてきたのです。
母が納得していたのなら、話は別ですが、いつの間にか夫婦がお互い別の方向を向いていた。これが現実です。
そして父は仕事を選び、それを貫き通しました。
そして後に残ったものは・・・それはお話しした通りです。
今のボクの働き方のかげには父の存在がある
ボクが大学生の頃、起業を試みたのもこうした背景があります。
父親のようになりたくない。なかば反骨心のようなもので、起業という道を模索しました。
父のようになってはいけない。一番身近になってはいけない存在がいる。そう思っていました。
でも、自分でやってみて気がつきました。
「あれ?いつの間にか父親と一緒の道を辿っていないか?」
そこで働き方を模索していくことになり、今現在、ノマドな働き方をしている・・・というわけです。
家族を大事にした働き方
「家族を大事にしたい」
ボクの働き方の中心にはいつも家族の存在があります。
だからこそ、ボクはこの働き方を選んだのだろうな。と思うことがあります。
ノマドという言葉がない時代から、ノマドな働き方を模索しつづけ、正直、時に挫折しそうになったこともありましたが、気がつけば遠くに来ていた。
人生なんてわからないものです。
今の生き方に違和感を感じる人の助けになりたい
気がつけばボクは、今、自分のような働き方を目指している人を応援する立場として事業を展開しています。
それがオンラインスクール事業です。
「自由な働き方ができる人を増やす」
人によっては綺麗事にうつるかもしれないけれど、ボクの生き方やこれまで培ってきた経験、それがボクと出会い関わりを持ったたことで役に立つような、そうなっていけたらいいなぁと思っています。
もしかしたら、それがボクの社会的な役割なのかもしれないな・・・時にそう思うことがあります。
微力ながら社会にこうしたライフスタイルや生き方を発信して、提唱して、ボクと関わった人が幸せになっていけばいい。
次に、自由な働き方を手に入れた人が波紋のように自由な働き方を世の中に広めていってくれたら、それでいい。
それが時間をかけて社会に広がっていたら、どんな面白い世の中になるのだろう。
そんな妄想に浸ることもあります。
仕事のために生きるのではなく、自分の時間を取り戻そう!自分の人生を生きよう!大事な時間を誰かに支配されているような人生はもうやめよう!
心からそう思います。
スクールを運営する理由?
いろいろ理由はありますが「シンプルに、楽しいじゃん」。
ボクはいまだに自分の心に正直に生きているのかもしれません。
コメントを残す