なんと私、入院してしまいました。
今も入院中で、入院先の病院の一室でこれを書いています。
我ながら少し無理をしすぎたかなと思っています。精神的には大丈夫なように見えて、肉体的には徐々に疲れが蓄積していきダメージが大きかったのかもしれません。
特に頭痛が激しく、立っていられないほどで、病院の先生曰く、よくこの症状でここまで来れたねと言われてしまいました。
もちろん妻の助けがあってこそでしたが、立つのもママならない状況で、病院内(大学病院なので広いです)を歩いて診察室まで行くのは、なかなかすごいことらしいです。
その後、診察室に入るなり、その場で寝かされ、移動は車いすになり、幾つか検査を受け、その場で即入院が決まりました。
奇しくも、前々回の「仕事とは何か」の記事で書いた記事を否定するような形になってしまいました。
つまり、私のようなスタイルで仕事をしている場合、オンとオフの区切りがないわけですが、「自由」とは「責任」と書いた通り、私のような形で仕事をしていると、時に体を壊し入院することにもなるというリスクを孕んでいるということです(笑)
その後も、検査を受けましたが、幸い大事には至らず、予想されていた病名になることはなく、それがせめてもの救いでしょう。
別に病院の病室で仕事なんてしなくてもいいのに・・・せっかくの休暇を神様がくれたと思ってゆっくりしていれば良いのに・・・と思われるかもしれませんが、なんだか落ち着かないんですよね。仕事をしていないと。
ワーカーホリックと言われてしまえば、それまでなんでしょうけど、前にも言ったように私の場合は仕事と私生活の境界線が非常に曖昧で、仕事を仕事ととらえておらず、おそらく仕事が生活の一部になってしまっているのでこのような自体になるのでしょうね。
また、仕事をほとんどクラウド化してしまっているため、基本的に私がいる場所自体がオフィス(インターネットが繋がっていればOK)になるので、こんなことが起こってしまいます。
もちろんこれには便利な面もあれば、マイナスな面もあります。
ちなみにこれを書いているのは、病室のベッドの上で時間で言えば午前0時半です。
消灯が21時で、起床が朝6時ですから、ここまでくると、我ながら頭がおかしいんじゃないかと思ったりします。
こんな働き方は、会社員時代には絶対にあり得なかったし、逆に「よし!入院だ!仕事休める!」くらいに思っていたかもしれません(笑)
それが、今ではこれですからね。
人は「自由」という名の「責任」を持つと変わるものです。
こんな思いまでして、なんで仕事をしているんだろうと考えてみましたが、いろんな言葉が頭をよぎります。今、いろんな言葉が頭をよぎりましたが、大前提にあるのはやっぱり仕事が好きってことなんですよね。
矛盾しているようですが、好きか嫌いかと言われるとわからない時もあるのですが、やっぱり支えとなっているのは、「仕事が好き」という感情なんだと思います。
なんで仕事が好きか嫌いかわからない時もあるのかと言えば、それは、何度も言うように私にとって仕事は生活の一部だからです。
好きとか嫌いとか以前に、それをやっていないと落ち着かない、もしくは不自然なものなんですね。
だから仕事をしていないと、落ち着かないし、何もしていないでボーっとしていると逆にそれがストレスになってしまうんです。
もちろん、そう言う時間も大切だなと思うのですが、今の私の場合はやるときはやって、休む時はとことん休むというライフスタイルの方が性に合っているんだと思います。
「今の私の場合」と言ったように、緩い感じで延々と続けて行く時もあります。
つまり仕事をある程度自分でコントロールしています。
もちろん、以前もいいましたが、私にだって仕事が面倒くさい時や、気が乗らないとき、やりたくない時はあります。
人間ですからそれは仕方のないことです。
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