SNSではたまに発信しているのですが、ボクは趣味のひとつとしてスキューバダイビングをやっています。
やっています・・・と言いながらもう、実は数年はやれておらず、ほとんど潜り方を忘れてしまっているのですが(笑)、とにかくスキューバダイビングがボクの趣味のひとつです。
なぜスキューバダイビングをはじめたのかというと、これはもう笑い話でしかないのですが、ボクが予備校に通っていた時に出会った女性に誘われてはじめました。
確か、渋谷のイタリアンだったと記憶していますが、2人で食事をしまして、その時にちょうどスキューバダイビングの話になったのです。
ものすごく綺麗な女性が、目をキラキラさせてスキューバダイビングについて、海の素晴らしさについてボクに語ってきたので、その勢いに負けて「セッキー君もやろうよ!」と誘われた時に紳士なボクは(笑)「NO」とはいうことなんてできなかった(笑)
きっかけなんてそんなものです。
やってみて面白くなければやめればいい
といえ、面白くなかったらやめればいいし、なんとなくそんな世界も見てみたいな・・・海の中ってどうなっているんだろう。そんな軽い気持ちであったように思います。
こんなに素敵な女性を虜にする「海の中の世界」はどのようなものなのか、ちょっとばかりのぞいてみたくなったのです。
それで、1回か2回、もしくは3回くらい潜ってみて、楽しくなければやめればいい。
ライセンス取るのだって確か5万円くらいではじめられたし、軽機材(フィン、ゴーグル、シュノーケル、専用バッグなど)合わせても10万ちょっと。
もちろん当時のボクにとっては10万円は大金だったし、アルバイトでためるのは、なかなか大変だなぁと思っていたのですが(しかも毎回やるたびに交通費やら、食費やら、滞在費やらで2万円くらい飛んでいく)まあ人生何事も経験だしな、と思い切り、スキューバダイビングの世界に足を踏み入れました。
さまざまな価値観に触れることが大事
東大にあるサークルだったのですが、メンバーもいい人ばかりで、変にインテリチックな人ばかりだけではなく(そういう人も一部いましたが)、海のように心がおおらかな人がたくさん所属しているサークルだったように思います。
もちろんサークルと言っても、東京大学に所属している人以外の人、例えば慶応大学、早稲田大学、上智大学、立教大学、日本大学、日本女子大学など、いろんな大学に所属している人がいたりと、いろんな大学と、さまざまな考え方を持つ人が集まる、いい意味でとても外に開かれている、自由奔放でいて刺激のある「サークル」だったように思います。
今は、みんな社会人になり、それぞれ結婚をし、子供もいたりするので、会うことは無くなりましたが、ここでの経験は本当にボクにとって貴重なものであったなと思います。
はじめての海外旅行は「シパダン」という島だった
例えば、ボクにとってはじめての海外旅行は、このスキューバダイビングのサークルがきっかけでした。
海の魅力に取り憑かれ、2度や3度では潜りたらずに、何度も通うようになったそんな時に、ふと、マレーシアにある「シパダン」という島に潜りに行こうよという話がサークル内で持ち上がったのです。
この時の様子は、下記記事にまとめました。
シパダンは飛行機を乗り継いで、まずはコタキナバルへ、それから長時間の車に乗って、さらに船を乗り継いでと、1日がかりで行かなくてはならない小さな島なのですが、「ダイバーの聖地」と言われていて(多分今もそうです)、当時は島に宿泊し滞在することができたのです。
そして現在もそうなのですが、島には「入島制限(島に立ち入ることができる人の数に制限がある)」がかけられていて誰でも自由に出入りできるわけではありません。
今は環境保護の観点から宿泊を伴う滞在はできなくなってしまいましたが、当時は1周30分ほどで歩き回れる小さな島に、小さな宿泊施設があり、飲食できる場所があり、さらには簡単なレジャーアクティビティ(ビーチバレーをしました)も堪能できたり、お土産屋さんがあったり・・・本当に今思っても天国のような島でした。
孤島なので、周りには何もない。
だから夜になると満点の星空が見えていたし、海には夜光虫が光る砂浜。そんな島で朝から晩までただ、ひたすらに潜ることを楽しむ。最高な日々でした。
朝晩で表情を変える自然の生き物たち
肝心のスキューバはというと、朝は朝で、海の中の生き物の表情が違うし、サマースノウと呼ばれる自然現象に出くわしたり、夜は夜で、懐中電灯で照らしながら潜る闇を身にまとう海は違った装いをしていました。まるでどこか知らない場所に迷い込んでしまったのかのような「漆黒の闇」があり、懐中電灯を落とすと、それはすなわち「死」を意味する・・・そんな怖い場所だと思ったものです。
実は、ダイビングの途中に一人誤って懐中電灯を手から離してしまった方もいましたが(懐中電灯はそのまま海の底に潜っていきました)、バディーを組んでいたため難を逃れた。そんなこともありました。
ウミガメの産卵にも遭遇しました。
島全体でウミガメを保護していて、夜産卵する姿を見ました。また卵からかえったウミガメの赤ちゃんがおぼつかない足取りで海に向かい、元いた場所に帰っていく姿を見ることもできました。
卵からかえったばかりの小さなウミガメの赤ちゃんが、海に戻った瞬間、鳥に狙われている姿を見るのはスリリングではありましたが、これも自然の摂理。そんな弱肉強食の世界を身近で感じることもできました。
一旦海の中に潜ると、ハンマーヘッドシャークやバラクーダの群れ、ギンガメ(アジ)の集団に囲まれたり、ボクにとってみたこともない、感じたこともない世界がそこにはあって、初めての海外旅行は感動の連続で、見るもの触れるもの全てが新鮮だった。そんな記憶があります。
ただ、時が立ち、社会に出ると、みんなそこでの出来事がなかったかのように、それぞれの道を歩きはじめます。
まるで長い長い、夏休みが終わったかのように、記憶だけを残して、思い出だけを残して、過ぎ去っていく。
それが大人になるということなのかもしれませんが、そこにはなんとなく寂寥感が漂っています。
実現する「手段」の話
もしも、そこに「手段」があったのなら。
ボクは今でもそう思うことがあります。つまり、みんなが好きな場所で、自由に働ける状態であったなら、その後の人生においてどのような変化をもたらすことができたのだろう。
そう思う時があります。
もちろん、みんながみんなボクのような自由な生き方を、人生を望んでいることではないかと思いますが、そこに「自由に生きる」という選択肢があったのだとしたら、そこからどんなものが生まれ、どんな事業が生まれ、お互いにどんな人生が待っていたのだろう。
たまにそのような思いにふけることがあります。
当時はインターネットというものが今よりも一般的ではなかったし、携帯電話はあれど今のようなスマートフォンはなかったし、デジカメで写真を撮っていたような時代です。
もし、今、今の状態で、その場所に戻れたら・・・
多分、ものすごく、刺激的な日々が待っているはず。ボクは今でもそう考えることがあります。
今の時代、生き方は自分で選んでいくことができる
もちろん、そんな生活を望んでいないよ。会社員として生きていた方が楽だし、楽しい。
そんな人もいます。誰もがみんな「自由」を望んでいるわけではないですから。
みな、それぞれに「人生の目的」のようなものを持ち、それが会社で出世することにあったり、社会的に役に立つサービスを作ったり、大学の研究機関に残り、好きな研究に没頭することであったり、大きなお金を動かすことだったりします。
これは人として与えられた持ち時間をどう生きるか、生き方の問題にもつながってきます。
何度もいうように、その生き方には「良い」も「悪い」もありません。
でも、本当は自由な生活に憧れているし、自由になりたいのに・・・なかなか思うような結果が出せない。
そんな方もたくさんいます。
それにはたくさんの理由があると思いますが、ボクはそんな方のためにスクールとして事業を展開し、叶える方法をお伝えしていっています。
あの時、あの場所で見た光景を、忘れないように。
そして次につなげていけるように。
そんな思いで、ボクは日々取り組んでいる・・・というわけです。
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