幸せをお金に求めている方は多いです。
でもね、幸せはお金では手に入りません。世の中には、どれだけ稼いでも、どれだけお金を持っていても不幸な方はたくさんいます。
そして現実を話すと、成功しても不幸な方がたくさんいらっしゃいます。
幸せになるために、お金を稼いだのに、お金を稼いだ結果、不幸せになる・・・皮肉なことにこんな「事故」があらゆるところで起きてしまっています。
なぜそんなことが起こるのか?
今日はその理由を、多くの人を見てきたボクの経験と共に少しだけ解明していきたい思います。
注意:今回のお話はちょっと難しいかもしれませんので、興味のない方は読まなくても大丈夫です。
お金は自分の器を超えると、そこからはみだす性質を持っている
人はお金があれば、無条件に幸せになれると信じ込んでしまっています。
みな、誰しもお金があれば、選択の自由が生まれ、自分の時間がつくれるし、悩みもなくなり、自由でいて「解放的な人生」を歩んでいけると思っています。
でもね。
現実をお話しすると、お金を持つと不幸になる方は多いです。
そしてお金を持つと、確かに選択肢が広がりますが、逆に不安になったり、お金を持つことで悩みが増えたり、不安になったり、思っていたよりも解放的な人生にならない・・・そんなことが多いです。
なぜならお金を持つと、自然とそこに責任が生まれるからです。
そしてお金を持つと、お金によってくる人も増える。特に投資関係の方からお声がかかるようになります。
もっとお金を増やしていかないか?投資をしてお金を増やしていきませんか?利回りが○%・・・欲が生まれます。
相手は頭を下げて頼んできますから、自分が偉くなったような気がしてきます。世の中を動かしているような気がしてきます。
そして、そんな話を聞いていると、もっとお金が欲しくなります。
でも、中途半端な実力でお金を持ってしまうと、うまく運用することができず、高い確率で「損」が生じます。
そしてその穴埋めをしようとして、必死に取り返そうとして、賭けに出ます。
・・・結果・・・ほぼ100%に近い確率で失敗します。宝くじで当たった人の末路はひどいものだとよくききますが、それは当然なんです。
なぜなら、お金の使い方を知らずにお金を持ってしまうからです。本来であればお金を稼いでいく過程で、得ることになる貴重な体験、経験、知識、スキル・・・それらを全てすっ飛ばしてお金を持ってしまうからです。
自分の器以上のお金を持ってしまうと、お金に支配され、お金に利用され、お金に翻弄され、不幸せになっていく人が多い。しまいにはお金なんて持たない方がよかったよ・・・なんていう人も出てきます。
お金がない、今の方がずっと幸せだよ・・・という人も自然と生まれてきます。
最短、最速・・・そんな形で成功してしまうと、非常に高い確率で、お金の使い方を間違ってしまいます。そして逆に借金を背負う・・・という形になってしまうのです。
お金は自分の本当の実力を勘違いさせる
またお金を持つと、そこにある種の「驕り」が生まれます。
そして、自分が「特別な人間である」と思い込むようになります。本当はたまたまそこにあったお金を手にしただけに過ぎず、実力なんて対して持ち合わせてなく、「運」と「流れ」でお金を持てただけなのに・・・。
たまたま、あなたがいるその場所に、そこにお金が流れてきただけなのに・・・
お金を持つと、特別でいて、他人の上にたった気にさせてしまうのです。そりゃそうです。言ってしまえば、この資本主義社会の中ではお金があれば、「買えない」ものはほとんどありませんから。
(語弊を恐れずに言えば「愛」だってお金で買えます。もちろんお金で買ったものは「お金」がなくなると、離れていきますが、「愛」もお金で買うことができます。
ただお金で手に入れた「愛」は、あなたへの「愛」ではなくお金へ向けられた「愛」だと思ってください。すなわち、お金があなたの手元になくなると、その「愛」も無くなっていきます。)
だからこそ危険なんです。
特にアナーキーな人(社会性を持ち合わせていない人)がお金を持つとものすごく危険で、やりたい放題にやっていき、社会からはみ出し、調和が取れず、それでも自分が特別な存在だからと、世の中に対して主張し続け歯止めが効かなくなっていきます。
社会性がない方がお金を持つと本当に大変なんです。世の中がどんどんクレイジーになっていきます。
そして今の世の中がおかしくなっているのは本来時間をかけて学ぶべき「お金」の勉強をせずに、お金を手にしてしまった方が影響力を持ち、幅をきかせ、世の中を回していっているから・・・個人的にはそう思います。
世の中は自分一人の力で回っているわけではないし、多くのひとの助けや働きによって成り立っているのにも関わらず、お金を手にしたばかりに、自分がその頂点に立つ存在だと勘違いしてしまったり、他人よりも自分が偉いというふうに思い込んでいってしまうんです。
そして生活も派手になります。お金遣いも荒くなります。自分の思う通りに行動し、どんどん暴力的になっていきます。
自分の意見を正当化するために中途半端に歴史からも学んでいきます。例えば「今の社会の制度は、人類の歴史を見ると、まだ100年くらいしかない、だから、今の制度の方がおかしい」と言ったように自分の意見にどんどんバイアスをかけていきます。
歴史上の、そこに当然のようにあった社会背景を無視して、無理やり現代に当てはめて自分の意見を正当化し、主張していきます。
例えば有名なのはアダムスミスの国富論の引用でしょうか。
アダムスミスは自著「邦題:国富論(英題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations「諸国民の富の本質と原因に関する研究」)」の中で「それぞれの個人が、私的な利益を追求しても、神の「見えざる手」がはたらいて,おのずから調和が生まれ、それは社会全体の幸福の実現にもつながる」と説いていますが、これを自分たちの都合のいいように解釈し、曲解して伝えていってしまっています。
そもそもアダムスミスの生きた時代は「政府が大きな力」を握っている時代であって、時代背景も違えば、今とは社会全体の制度が大きく異なっています。
アダムスミスは、そんな制度を糾弾する意味でも、この「神の見えざる手」という言葉を使っているのですが(そもそも「神の見えざる手」というのは日本語訳で原著では「invisible hand」と表現されており「神」のは、つきません)今の時代のお金の亡者たちによって、自分たちの行為を正当化するためとして扱われてしまっているきらいがあります。
イーロン・マスクのようだと言えばわかるかと思いますが、最終的に、自分なりの考え方ややり方を誰よりも信じて、暴走していきます。
(現在のTwitter(X)の状況は、資本主義のルールではなんら問題なく、ごく自然な振る舞いなのですが、個人的には先人たちが築き上げたものを壊して、自分の意のものとする姿は痛々しく感じることもありますし、社会性を無視したうえに、さらに資本主義社会の制度を利用した暴力だと感じています。
なぜなら先人たちが築き上げてきたものに対する敬意が全く感じられないからです。お金で解決する。お金があれば歴史さえ変えていける。イーロン・マスクの発言には、そんな驕りが見え隠れします。
ただし、イーロン・マスクが天才だということには変わりはありませんし、実力者だということに異論はありません)。
これにより、人が離れていったり、良好な関係性が築ける人間関係も、非常に限定的なものとなっていき、お金の亡者だけになっていきます。
そして、はじめのうちはいいものの、そのうち息苦しさを覚え、栄枯盛衰、お金と共に人間関係が崩れていきます。
なぜならはじめのうちこそ、価値観が同じ人間関係を築いているものの、次第にお金に傾倒するようになり、お金で優劣を判断し、お金で人間関係の価値を測り、よりお金を稼げている人が偉いという価値観になっていき、より高みを目指していかないといけない・・・そんな焦燥感に襲われるからです。
けれども思うように高みにのぼることができない。ある時のタイミングで、時代と共に、たまたま、お金を手にしただけだったから当たり前です。
そして、お金と共に人間関係も希薄になり、どんどん孤独になっていきます。
でも一度日の目を浴びた人を襲う孤独は深刻なものです。なぜなら「快楽」を知ってしまったから。それを覚えてしまったがために、非常に苦しむ形になり、結果不幸になっていきます。
お金は人を不安にさせる
実は、お金を持つこと、それ自体が人を不安にさせます。
実力がない方がお金を手にしてしまうと、お金による不安はどんどん大きなものとなっていきます。どうしていいかわからなくなってしまったり、お金があること自体が、鬱陶しくなってくるのです。
普通の人はいきなり1億円を持ったら、どうしたらいいかわからなくなります。
お金を稼いでいく過程で感覚的に学んでいくものをすっ飛ばしてしまう形になるからです。
ちなみにボクの経験と感覚では月の収入が7桁を超えると、「0」が一つ減った感覚になっていきます。つまり100円のものが10円に感じるようになり、1万円のものが、1,000円に感じるようになります。
同じように、8桁を超えると、今度は「0」が2つ減った感覚です。1万円のものが100円に感じ、10万円のものが1,000円くらいに感じるようになってきます。
だから、お金の感覚がよくわからなくなってくるんです。
よく稼ぎ始めると、お金の感覚がバグる人がいらっしゃいますが、これがお金の感覚がバグるという現象の理由だったりします。
そして、気がつけば、否応なくよくわからない人から声がかかってくるようになったり、あなたの周りの人間関係もどんどん変わっていきます。
接待をされるようになったり、そこから投資を進められるようになったり、人間関係がどんどん変わっていきます。
でも経験がないわけですから、思うようにお金を運用することができない。どんどん目減りしていく。でも感覚はバグったまま。
簡単に大きなお金を手にしてしまった方は、また簡単にお金が稼げると思う。でも現実はそううまくはいかない。なぜなら、その人は、たまたま時代のタイミングがあっただけでお金を手にした人だからです。
何かがおかしいと思いながらも、一度快楽を味わってしまった以上、元の生活に戻るのは困難です。生活レベルを下げるのは、自分が地に落ちたような感覚になっていくからです。楽に稼いだ人ほど普通プライドが高くなるものですから、だから生活は派手なままを維持しようとします。
でも入ってくるお金はどんどん少なくなっていく。「お金を守る」ということができなくなってしまうんです。
最終的に人は陥落していきます。
このようにお金に関するあれこれを言い始めたら本当にキリがないほどです。
お金は単なる道具に過ぎない
これらを防ぐには、お金は単なる道具に過ぎない。
そう思うことが大事だと思います。
ボクたちが生活している資本主義社会では、お金はほとんど「全ての価値の基準」となっていますが、それは単なる商品やサービスのやり取りをする際の「交換となる基準」であって、「そのもの本質の基準」ではないとしっかりと理解することだと思っています。
希少性が高いものにはそれなりの価値がつきますし、みんなが欲しいというものにも同様に高い価値がつきます。
でも、「それだけ」です。お金というものを、信奉せずに冷静に見る必要があると思います。
また、スポーツのように、ゲームを進行するのが得意な人もいれば、そうでない人もいます。
つまり資本主義というゲームのルールに則って、お金を手元に集めるのが上手い人もいれば、あまり上手じゃない人もいます。
それは「本質的な価値の差」や「人間的な力の差」ではなく、お金を引き寄せるのが上手か、上手じゃないかの差に過ぎないと思うことです。
そしてフラットな目で、曇りなきその目で、それを判断するということが大事だと思います。
この世にある数字で測れる価値なんて、所詮、人が、誰かが勝手に付けたものに過ぎませんから。
お金を持っていなくても「すごい人」や「人格的に素晴らしい人」「人並外れて優れた特殊な能力を持つ人」もいます。
そうした人が、お金持ちであるとは限らないし、お金持ちになれるわけではありません。むしろそうではない場合も多い気がします。
ボクが心から尊敬できる方の中には「お金を持っていないけどすごい人」や「お金がないけど人として尊敬できる人」がたくさんいますから。
お金は価値の判断基準として使用されますが、本質的な価値の判断基準ではない。
またお金は誰かが勝手に決めた価値と交換するために必要な道具にすぎない。
そう思うことが、お金に支配されるのではなく、お金を支配して幸せな生活を営んでいく上では大事なことだと思っています。
コメントを残す