退院してようやく生活が落ち着いてきました。
とはいいつつ、昨日は打ち合わせで、来週も珍しく出張と会食があり、さらに再来週も打ち合わせと会食が控えているなど、仕事が立て込んでいます。
どれも、大事な案件だけに気を抜けない日が続いています。
昨日の打ち合わせは上手くいけば、強固なパートナーシップを結び、お互いにとって非常にメリットのある話だったのですが、ただ一歩間違えば、お互いにとってマイナスの効果を生みかねないので、少々慎重にことを運ばなければなりません。
来月頭から一緒に取り組みをはじめさせて頂く予定なのですが、大事な部分がまだ明確になっていないため、もしかしたら少し予定がずれ込むかもしれません。
【全てがピタッとはまる案件はまれ】
いくら、自由な仕事をしていようと、こうした大事な打ち合わせが重なると、移動に時間をとられてしまいますし、ビジネスの進行に支障が出てきます。
打ち合わせを行なう以上、こちらもバリューを提供しなければなりませんし、その後のビジネスを左右する度合いが大きいほど慎重になります。
私の中ではいくつか基準があり「これとこれがオッケーならゴーサイン」という条件があるのですが、全ての案件で、それがクリアになるわけではありません。
ビジネスはいつも複雑な環境の中で揺れ動いていますから、ピタッとハマる案件は稀で、その多くはどちらかがある程度譲歩することで進行していきます。
ただ昨日の案件については珍しく、上手く行けばお互いが抱えている問題をクリアする事が出来、それだけではなくさらに相乗効果で様々な恩恵に預かることが出来る案件でした。
期待をせずにはいられませんが、ただし大事なところがクリアになっていない今、まだなんとも言えない状況です。
【築き上げるのには、なんでも時間がかかるもの】
私のような生活スタイルをみて羨ましく思ったり、憧れたりする方がいらっしゃるのは少なくないことは知っています。
ただし、私のような生活スタイル、もっと大きく言えば、私のようなライフスタイルを送ることは、やはり誰でも出来ることではないと思います。
私は、如何に自分が自由であるか、フットワーク軽く自由に移動できるかを基準に仕事をつくってきましたので、結果的にこのような働き方が実現できていますが、やはり、このスタイルを手にいれる為には多くの苦労がありました。
もちろん、今の時代、インターネットに繋がる環境があれば、それなりの方法論で、仕事をクラウド化していき、私のような一見「自由」にみえる働き方を手にいれることは可能です。
ただし、それらは一朝一夕で身につくものではないし、できるものではなく、多くの場合は時間がかかります。
求められるスキルも違いますし、もっと言えば求められる精神状態も違います。
例えば、私の場合は、今のライフスタイルを手にいれる為に10年を要しています。
もちろん、今はいろんな働き方がありますから、私のように時間をかけなくても、私のような生活を手にいれることも不可能ではないでしょうが、たぶんどの道を選んでも当然のように、それなりの苦労はすると思います。
【本当にやるか、やらないかなのか?】
「ようは、やるかやらないかだ!」なんて安っぽい言葉で片付ける気はありません。
世間ではやるか、やらないかという言葉で単純化し、さも、成功者は「やる」を選んだから成功できたと、単純化して言っていますが、現実はもっと複雑です。
「やるか、やらないか」・・・もちろん、「やる」を選ばなければ、何事も前には進まないわけですから、決断としてはどこかしらで「やる」を選んだのだと思いますが、それだけで実現できるものではありませんし、物事はそんなに単純ではありません。
「やる」を大前提にして、そこからが大事で、要はその後の方法論、選択と決断、そして「運」どれもが不足していては実現出来るものも実現出来ません。
ビジネス書では絶対に触れられていませんが、私は、その中でも「運」の存在は、非常に大きなウェイトを占めていると考えています。
つまり、「運」という一見つかみ所のない言葉の中に、ビジネスをうまく成功に導く本質が隠されています。
もちろん、その「運」をつかみとるためには、それなりの方法論が必要ですし、その時の状況に合わせて選択と決断をすることが大事になります。
方法論は、大事なことには変わりないのですが、絶対的なものではなく、ゆるやかな流れの中で自然に身を委ねていると、必ずとは言えませんが、真摯に向き合いながら語り合うことで見つかるのではないかと思います。
そして、それは多分私のいるビジネスの世界だけの話ではなく、様々な職種に共通していえるのことなのではないかと思います。
例えば、昨日イチローのインタビューをYouTubeで見ましたが、私なんかが言葉にするのも非常におこがましい話ではあるのですが、イチローという人は本当に自分のカラダという資本と向き合い、自分に合った方法論をいまだに模索し続けているひとだということがわかります。
一見「バットを振る」という誰でも出来そうな単純な行動の中に、誰にもわからない積み重ねがあり、そうしてカラダを動かす理由があり、自分なりの理論と考え方があります。なにより「バットを振る」というひとつの単純な行動をとってみても、細部にわたるまでの工夫や細かな違い、ありとあらゆることの積み重ねのうえ成り立っていることがわかります。
おそらく全ての選手がイチローの理論に、まるごとそのままあてはまるわけではないでしょうが、それはある意味当然のことで、何故なのかと問われれば、自分のカラダを追求していった結果、今のイチローがあるからです。
例えばカラダを大きくするのには何の意味もない、カラダが動きづらくなるだけだというところにも、それらをかいま見ることが出来ます。
だから、例えば、私なりの方法論を語ることは私にも出来ます。こうすれば、私のような働き方を実現できる可能性があるとお話することは可能でしょう。
しかし、100%の確立でそれを実現に導くのは不可能で、なぜならば、それぞれ人によって持ち合わせている能力や環境、求められるスキルが違うからです。
少し私の話をさせて頂くと、私は、今から約10年前にインターネットを使えば、今のような働き方が実現できると思いました。とはいいつつ、それなりの方法論、つまりビジネスモデルは頭の中に思い描いていたものの、わかってはいるものの、それを実現するのにはかなりの紆余曲折がありました。
今思えば、必要なかったと思われるような、遠回りもたくさんしましたし、もっと大きな市場で、会社を大きくして社員をたくさん抱えていく方向に舵をきったほうがいいんじゃないかと思ったこともあります。
ただ、私は例え、会社を大きくしたとしても、そこに自分がいなければ回らないビジネスにはしたくありませんでした。自由ではなくなるからです。
そうした方法で、会社を大きくして資金を調達するために上場したとしても、結局は株主に縛られるだけですし、常に右肩上がりの成長を求められますし、あらゆる脅威にさらされることになります。
そうした働き方に価値を見いだすことは出来ませんでした。
私が実現したかったのは、出来る出来ないは別として、もっと違う形の働き方でした。
結果、今、私は今のように好きな時に自由に働く「働き方」が実現できていますが、もちろんこれで終わりではありません。
私の思い描く理想の形を手にいれるには、まだ時間がかかりますし、やらなくてはならないことがたくさんあります。
また、やりたいこと、実現したいことの幅が、広がってきつつあり、ただ単に拡大するのではなく、もっと面白い方向にビジネスを行なっていくことになると思います。
やみくもに拡大をするのではなく、自分のビジネスをしっかりとコントロールしながら、自由に働く。
闇雲にビジネスを拡大する路線は、おそらくもう時代遅れなのではないかと思います。
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