今日から記録を兼ねて、個人のブログを書く事にしました。
忙しい1日の終わりに、ブログを書く時間をつくって1日をゆっくりと振り返り、ゆるく過ごす時間をつくっても良いか・・・なんて、今少し思っています。
別に誰にみせるでもなく、自分の為に書いているわけですが、1日1日を日々せわしなく生きる中で、こうして、サクッと振り返る時間も大事なんだろうなと思い立ち、今日から記録をつけることにしました。(ただし、毎日はつけられないと思います)
「自分の為」とはいいつつも、ネット上にアップするわけですから、当然誰かの目に留まるでしょうし、「自分の為」とはいいつつも、当然、画面の奥のほうの誰かに向かって書く事になるでしょうが、この場所ではそういったことを少し気にしつつも、ちょっとだけ気楽に書いていく事にします。
いつまで続くのかはわかりませんが、時間が許す限りは、この場所を使って、ゆるりと記録を残していこうと考えています。
BOHEMIAN DAYSとは
このブログのタイトルは「BOHEMIAN DAYS」と言いますが、少し適当で、少し本気でタイトルをつけました。
「BOHEMIAN(ボヘミアン)とは何か」を、説明をするのは少し難しいのですが、古くはジプシーと呼ばれてきた少数民族ロマのことであり、移動生活者のことをさします。
もちろん、私はジプシーでもなければ、ロマでもなく、ましてやボヘミア人でもありません。
この文章を書いてる事からわかる通り、私はれっきとした日本人です。また、私は結婚し妻もおり、さらには子供もいて、現在しっかりと定住をし、日々の生活を送っているため、古い意味でのボヘミアンではなく、漂流民族ではありません。
ではなぜ「BOHEMIAN(ボヘミアン)」という名前をつけたのかというと、現代の「BOHEMIAN(ボヘミアン)」とは、昔とは、意味が違ってきていて、「社会の規範に縛られる事なく、自由気ままに生活する人」のことをさしているからです。
そして「DAYS(日々)」というタイトル通りに、私は現在ある意味で、社会の規範に縛られる事のない生活をしており、自由気ままに生活している(ようにみえる)ため、「BOHEMIAN DAYS」とタイトルをつける事にしました。
BOHEMIANという言葉との出逢い
私が「BOHEMIAN(ボヘミアン)」という言葉を初めて耳にしたのは、今から10年以上前になりますが、当時は、そんな生き方に、私も淡い憧れを持っていました。
「あぁ、あんな世界を渡り歩く生き方がしたいな・・・」と。そして「自分もいつかは国々を渡り歩き、ロードームービーを気取って流れるようなカッコイイ生活をしてみたいな」と。
しかし、私も少々年をとりました。
私は、年齢で言うと30代半ばでこれからの世代ですが、淡い憧れを抱いた時から10年以上が過ぎ、結婚し、子供が生まれたということもあって、例え経済的には可能であっても、なんとなくそんな無理がある生き方に不思議と距離を置くようになりました。
私も、旅人の端くれで、一時期は国々を渡り歩くような生活をしたことがありますが、実際自分でしてみて、振り返ると、この生活を長く続けるのは無理があるよな・・・と考えるようになったためです(実際やってみないとわからないですが、漂流するのは意外と大変なんです)。
それよりも、ひとつの場所、もしくは2つの場所でしっかりと根を張り、行ったり来たりする生活の方が、より充実した生活を送る事が出来るのではないかと考えるようになりました。
こうした変化は、いろいろなものを広く「見たり」「聞いたり」するよりも、ひとつのことに向き合いじっくりと骨の髄まで味わいたいという方向に考えが変わった為ではないかと思います。
もちろん人それぞれに「生き方」があり「理想のライフスタイル」があるでしょうから、旅をしながら生活をするライフスタイルを否定はしません。また仕事でも何でもそうだと思いますが、時にはなんでも広く知るということが大事な時期もあると思います。
ですから、そういう生き方もありだと思います。また、私も今後自由に国々を渡り歩く生き方に胸膨らませ期待を抱くようになるかもしれませんが、今の私では、そのようなライフスタイルは考えられないというだけです。
自由とは○○である
先ほど、私は「自由気ままに生活している(ようにみえる)」と書きましたが、確かに私は、他人からみれば「自由気ままに生活している」ように見えると思います。
仕事は全てインターネットを使い、クラウド上で完結できる仕組みにしているため、働く場所を選ばないですし、ホテルで仕事をする事もあれば、カフェやラウンジで仕事をする事もあり、現にこれを書いているのは自宅のデスクです。
時間を見れば、今、午前0時過ぎですが、決まった時間に働くこともありません。また働く時間も決められていませんし、自分で働きたい時に働く生活を送っています。
おそらく、他人から見ればこんな働き方を「自由」と呼ぶのでしょうが、一方で私はそんな言葉をきくたびに「う〜ん」と首を傾げる事があり、「自由とはなんぞや?」と疑問に思う事があります。
「自由」という言葉の響きには、なんとなく「プラス」の意味が隠喩されていますが、全然そんなことはありません。
多分がっかりしますよ。「自由」を知ると。いろんな「責任」が一気に溢れ出しますから。
私は「自由」とはなんだと言われた時には、自由とは「責任」だと思っています。確かに自由にはプラスの要素も多いですが、常に責任が問われ、不安がつきまといますし、保証がないからです。
確かに会社員の方にも保証がないと言えば、そうなのですが、おそらく生き方の問題なのでしょう。そこにいる間は気がつかないのかもしれませんが、実は一般的な企業に属する会社員の方は、いろいろな保証に守られて生きています。
もちろんそれによって失うものも多いですが、保証されているという事実には目を背ける事は出来ません。
だから、どちらの生活がいいのかということは一概には言えないと思います。
選択する自由
ただ、私の個人的な見解を述べれば、本当の意味で、もっと選択できる生き方を選択してもいいと思います。もっと柔軟に働き方を選んでも良いのになぁと思う時もあります。
もちろん、私のように自由に働く生き方をできるひとはごくわずかな限られた人であるということは承知の上です。個人の力で働くということは、非常に難易度の高い仕事で、簡単ではありませんし、一定期間の修行が必要だからです。
かくいう私も、こうした、世間一般的な言葉で言う「自由なライフスタイル」を手にいれるためには非常に時間がかかりました。もの凄く遠回りもしましたし、たくさんの失敗をしてきました。
ただ、今となってはそれも必要な道だったのかなと振り返る事が出来ています。
ものすごく便利だけど、ものすごく不便な世の中
ものすごく便利な世の中になった一方で、ものすごく不便な世の中になったなぁと思います。
インターネットの登場により、一気に世界が狭くなり、様々な情報を手軽に手にいれる事が出来る一方で、その真偽は定かではなく、その情報の精度を確かめる為に、莫大な時間がかかるというよくわからないことになっているなとも思います。
そして、それらを調べるたびに思う事は、ただ道具が進化しただけで本質的なものは何も変わっていないんだなと思います。
伝統的なものは経済によって衰退し、本来のものが本物ではなくなり、ニセモノが本物となる少しおかしな世の中だなぁとも思います。
言葉はどんどん軽くなり、物事の本質は失われ、経済ばかりが優先し、言葉だけが先走りする変な世の中だと思います。
結局何を言いたいのかわからなくなってしまいましたが、BOHEMIAN DAYSは今日から不定期で更新していきます。
[…] 前回の記事「BOHEMIAN DAYSについて」でもいいましたが、確かに私は、自由気ままに仕事をしていますが、わたしにとっての仕事の意味は少し違うなぁと感じています。 […]