たくさんの選択肢はひとつのことと向き合う時間を喪失させる

コロナ禍は不思議と作業中に音楽をかける機会が少なくなっていたのですが、最近は音楽をかけながら作業することが多くなってきました。

音楽はいいですね。

力をもらえます。

素敵な音楽を聴いて、エネルギーをもらい、そのいただいたエネルギーを別のものに変換して、誰かに伝えていく。

僕の場合はそれが「ご支援させていただいている企業様」であったり「WEBコンテンツ」であったりするわけですが、この好循環をしばらく忘れていた気がします。

とにかく、完全に音楽から離れていたわけではないのですが、音楽配信が主となってからは、音楽から遠ざかっていたのは事実で、久しぶりにレトロなiPodを取り出し、音楽を聴いてみたら、不思議と集中できていることに気がついたのです。

こんなこと音楽配信サービスだとなかったのに、なぜなんだろうと考えてみましたが、もしかしたら聴ける曲が限定されているからなのかなぁと思っています。

多くの選択肢は、一つのことと向き合う時間を喪失させる

音楽配信は無限に選択肢があるのはいいように見えて、一つの音楽と向き合う時間をなかなか取ることが難しい。

膨大に配信される曲の中から音楽を選ぶのも面倒だし、次々に五月雨式に流れてくる音楽は時に耳にうるさく感じたりします。

僕は昔から気に入った音楽はリピートで再生して、何度も何度も擦り切れるまで聴く性格で、一つの音楽を少しずつ時間をかけて消化していくのですが、音楽配信サービスでは一つの作品を消化しきれないうちにすぐに違う曲をお薦めされたり、流れ込んだりしてきて、消化不良のままどんどん新しい曲が流れてくる。

そのなんとも言えない、消化不良感がなんとなく嫌で、気がつけばあまり音楽を聴かなくなってしまっていました。すぐにお腹いっぱいになっちゃう。

ただでさえ、考えることや、やらなくてはならないことがたくさんあるのに、音楽に注意や意識を持っていかれる感じが嫌だったんです。BGMとしてただ流したいだけなのに、常にライブ会場にいるような感覚・・・と言ったら伝わりやすいでしょうか。

「俺(私)のうたを聴いてくれ〜」と、・・・それもいろんなアーティストが一挙に集まるライブ会場。開かれすぎているんです。

もちろん世の中には、素敵な曲がたくさんあることは知っているし、そうした曲に巡り合える機会を持てることは、とてもいいことなのですが、物事(仕事)に集中したい時はなんとなくうるさく感じてしまうんですよね。

TikTokのショート動画を延々と流されているような気分になっちゃうんです。

うっとうしいなぁと感じるし、よくわからない曲が延々と流されるのはもはや苦痛でしかない。

歌詞も意味不明なものが多くなっているし、深そうで浅いものだったり、リズムだけだったり、カオスなものが多かったり、歌詞の意味も軽かったり、浅かったり(僕の理解力が追いつかないせいもあるのかもしれませんが(笑))、短絡的であったり、簡単に理解できるものだったり・・・

僕には、時代を超えて愛される音楽を作っているというよりかは、どうしてもその時代に受け入れられる音楽をただ、その時のカネのために垂れ流しにしているだけに感じてしまう。

音楽に全く詳しくない僕がいうのもおこががましい話だけれども、近年はこれまでしっかりと感じられていた、そして脈々と引き継がれていた「つくられたアーティスト」としての音楽性が失われている気がするんです。

もちろん、そんな中であっても、とんでもなく「いい曲」に巡り合うことはあるのですが、以前と比べて、適当な曲が増えてきたような気がします。

余裕のなさが伝わってくるというか、明らかにウケを狙った曲が増えてきている。なんとなく「なんかこれ違う感」が漂ってきているんですね。

そして、たぶんこれは僕の年齢だけに感じられるものではなくて10代から20代にかけての方も同じような思いを持っているのではないかなとも思っています。

だから、昭和レトロと呼ばれる音楽にスポットが当てられて愛されていると感じるし、平成時代の昔のものだったり、なんとなくレトロともてはやされているものを新鮮に感じて受け入れられているのではないかと感じます。

世代に関係なく、今の時代にない、そこに置いてきてしまった素敵な何かをしっかりと感じ取っているんです。

また、ある時代を境にすっぽりと、大事な何かが抜け落ちてしまっている気がします。

今の音楽シーンは、昔のように(と言ってもここ20年くらいのスパン)「一つのものとしっかりと時間をかけて向き合って考える時間がない」もしくは「持てない」現代人を象徴しているのかもしれませんね。

また、これは音楽に限った話ではないのですが、世の中にコンテンツが溢れすぎて消化しきれない・・・けれども、さまざまなコンテンツに触れたい、そんな消費者心理を逆手に取ったようなコンテンツが増えている気がします。

自分で吟味して選んでいるようで、実は世の中に選ばされ弄ばれている。そんな雰囲気がそこかしこに漂っているように感じます。知ってしらでか、いっときのカネのために翻弄されていると思ってもらってもいいと思います。

だから奇抜なことをするし、注目を浴びるために変わったリズムで刻んだりする(それが悪いというわけではありませんが、しっかりとしたものが、世の中には少なくなってきている。本来は「人のための社会」なのに現代は「社会を維持するための人」になっているような気がします)。

歌でも映画でも、昔はもっと含みのある作品が多かった。ここ数年は本当にひどい曲が多いと感じますし、映画も心に残るものに出会えていません(素晴らしい作品はありますが、どうにも心に残らない)。

多分これは僕が年齢を重ねたせいもあるのかもしれませんが、年齢というものを鑑みた上でも、なんとなく違う気がしています。

昔は単純な曲調でも、単調な映画でもいろんな意味として解釈でき、それが作品としてきちんと昇華されていた。

けれども今は、なんとなくその場のノリであったり、シンプルに「大衆の気をひくための作品」になってしまったように思います。

「愁い(うれい)」ですね。

ちなみにこの記事を書いている今、聴いてるのは宇多田ヒカルだったりします(笑)

僕は、2016年にリリースされた「Fantome」というアルバムが大好きで、何度も聴いています。おそらくこのアルバムは彼女の集大成なのではないかと思います。

「亡くなられたお母様のことを思って作ったアルバム=Fantome」だと僕は勝手に解釈しているのですが(歌詞や曲もそれを感じさせるものが多い)、売上云々ではなく、このアルバムを超えるアルバムはおそらく出てこないのではないかと思います。

やっぱり、歌でもなんでもストレートに感情を表現している作品が一番、心にズシンとくるのです。

例えば妻や恋人にどんなに「愛している」や「ありがとう」という気持ちを能書き垂れて伝えようが、一言ストレートに「愛している」や「ありがとう」と伝えた方が思いが伝わると思うのとそれは同じなのです。

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セッキー
暇リッチな自由人。ウェブマーケッター・ウェブコンサルとしての顔を持つ。現在は個人に合わせてネットを使って経済的・時間的自由人を輩出するための活動に注力中。